お題スロット:おばぁの思い出
私の祖母はもう十数年前に他界したのだけれど、今でもたまに思い出すエピソードがいくつかある。
お年玉を2回くれた
小学生の頃の話。
正月は那覇のおばあの家に遊びにいき、お年玉をもらう。
そして数週間後、今度はおばあが私の家に遊びにきてくれた。
その時にもまたお年玉をくれたのだ。
「おばあ、お正月にお年玉もらったよ?」
とうとうボケたのかなと思ったけど、
「旧正月の分さ~」
ということらしい。
そっか、そういうことならと有難く頂いた。
髪型とファッションを注意された
癖毛の上にさらにパーマ。かなりウェービーな状態な時に、
「カラジグヮ、サバケー!」
と怒られた。
私は高校生になってから祖母と同居している為あまり沖縄の方言は分からない方だけど、髪を梳かしなさい!ということを言っているのは分かった。
でも梳かしたらウェーブが崩れちゃうよ……
ハイハイと適当に返事して、遊びに出かけたのだった。
そしてまた違う日、ダメージジーンズを穿いていたとき、
「エー!チビントコヤブケトンドー!」
と注意された。
これは「お尻のところ破けているよ!」という意味。
お尻のところが破けていたのではなく、腿のところだったんだけどな。
しゃがんだらお尻見えちゃうよー!とおばあはハラハラしたんだろうね。
この日も説明するのが面倒で、ハイハイと適当に返事して遊びに出掛けたのだった。
後日、おばあは母と姉を叱ったらしい。
私に服も買ってやらないで、お前たちは!と。
お願いだからおばあの前では普通の格好をして欲しいと懇願された。
葬式の時
おばあは足が悪く、晩年は歩けなかった。
最後は長い入院生活を経て亡くなったのだけど、病院からおばあが家に戻った時にちょっとした事件が。
どうやら、鼻に詰め物がされてなかったらしい。
葬儀屋さんが気付いてくれたのだ。
人が亡くなった場合鼻に詰め物をしておかなければ、何かしら出てくるみたいなのだ。
「本当はね、病院でやってくれるはずなのに……忘れたのかな。私が詰めるので、脱脂綿とピンセットを用意して下さい。」
と、葬儀屋の方が言ってくれたので、末っ子の私は薬局で脱脂綿とピンセットを買ってくることになった。
どこに脱脂綿とピンセットがあるのか分らなかったので薬局の人に聞いたのだけれど、
「怪我をしたの?」
と気遣ってくれ、脱脂綿は小さいヤツをタダで分けてくれようとした。
「いや……ちょっと。とにかく大きいものが必要なんです。」
さすがにおばあの鼻に詰めるとは言えなかった。
おばあの葬式の時、久しぶりに兄妹が揃った。
「こんな機会はなかなかないから」
そんな兄の言葉でそばを食べに行くことになったんだけど、それから数十年、本当に兄妹揃うことなく一緒にご飯を食べる機会もない。
ちなみにおばあが亡くなった事がきっかけで、私は携帯電話を持つようになった。
危篤になったときに私だけ連絡が取れず、ほんの数分だけど最後に間に合わなかったから。
家族のためといいつつ、今では暇さえあればスマホをいじる立派なスマホ依存症になっている。